【眼と耳で読む】トランプ【師匠シリーズ】

※ウニさんの作品はPixiv及び「怖い話まとめブログ」さまより、
Youtubeの動画は彼岸さんのUPされている136さんの朗読をお借りしています。
耳で捉えた物語を目で文章を追うことで、さらにイメージは大きく膨らんでいくのではないでしょうか。
 
 


 


「トランプ」

 

師匠から聞いた話だ。

大学一回生の冬だった。
その日僕は朝から小川調査事務所という興信所でバイトをしていた。
バイトと言っても、探偵の手伝いではない。ただの資料整理だ。そもそも僕は一人で興信所の仕事はできない。心霊現象絡みの依頼があった時に、その専門家である加奈子さんの助手をするだけだ。
助手と言っても、僕のオカルト道の師匠であるところの彼女は、ほとんど一人で解決してしまうので、なかば話相手程度にしか過ぎないのではないかと、思わないでもなかった。
「おい、どうした」
声に振り向くと所長の小川さんが奥のデスクで唸りながらワープロを叩いていた。
雑居ビルの三階にある事務所にはデスクが五つあるが、いつも使われているのは小川さんが座っている奥のデスクと、そのすぐ前に二つ並んでいるデスクだけだった。あとはダミーだ。
いや、見栄というやつなのかも知れない。僕は県内最大手のタカヤ総合リサーチを除いて、小川調査事務所以外の一般的な興信所というものを知らないが、そんなに何人も所員を抱えている興信所なんて普通にあるとは思わない。しょせん自営業だ。依頼客もそのくらい分かっていると思うのだが。
その使われているデスクにしたところで、師匠の指定席はたいてい開店休業状態。何日も資料集めをして必要な情報を得る、というようなスタイルではなく、お化け絡みの話とくればとりあえず出向いて、そのままたいてい即解決、という実に効率の良い仕事をしているのでデスクは依頼完了後に報告書を作るためにちょろっと使うくらいだった。
「まじかよ、おい」
小川さんはのけ反るように椅子にもたれかかり、天井を仰ぎながら左手で顔を覆った。その指には煙草が挟まれている。
僕は新聞記事のスクラップを整理する手を止め、振り向いた。
「どうしました」
そう問いかけると、小川さんは忌々しそうにワープロを小突きながら深い溜息をついた。
「作りかけの報告書が消えた」
「保存してなかったんですか。まめに上書きしないと」
「……」
それには答えず、煙草を消してから伸びをして立ちあがる。そして洗面所の方へ向かった。
小川さんは世に出回りはじめたばかりのワープロのような現代の利器には疎いのだが、字を書くのがあまり得意ではなかったので苦心して使っているらしい。
それでもこうしたトラブルのたびに毒づいて、「エデンのリンゴ」だとわめいた。
知らないなら知らないで良かったのに、なまじ知ってしまったがためにその功罪のすべてを身に背負うことになってしまったことを嘆いているらしい。
やがて洗面所から出てくると、小川さんは幾分さっぱりした顔で「昼飯食いに行こう」と言った。
もうそんな時間か。
「奢りなら」と言うと、すました顔で胸ポケットを叩く。
そんなところに財布が入っていないのは知っているし、どうせボストンなのだろう。いつもツケで飲み食いしては、翌月の支払いの時に、親を殺されたような哀しそうな顔をして払っているのも知っている。
しかし僕も労働基準法違反ではないか、という低時給で働いている身の上なので、奢ってくれるというのなら遠慮などしない。
「服部もどうだ」
もう一つの席にも水を向ける。
服部さんは僕と同じバイトの身だが、本格的に小川所長の助手として働いていて、お化け担当の加奈子さんと異なり、『まともな』興信所の仕事をしている。
「……」
服部さんは無言のまま、弁当が入っているらしい包を手に提げて見せた。
「そうか」
小川さんも苦笑いをして、無理には誘わなかった。
僕は未だにこの服部さんという男性のキャラクターがつかめないでいた。年齢は加奈子さんと同じくらい。いわゆるフリーターで、この小川調査事務所では無難に仕事をこなしているようだが、いかんせん無愛想でニコリとも笑っているのを見たことがなかった。
自分からは話しかけてこないし、こちらから話しかけても反応がないことが多い。電話対応など、事務的なものはそれなりにやっているが、この事務所にいる人間についてはその全員を嫌っているかのような冷たさだった。
特に眼鏡の奥の目が怖い。
つねに物静かで存在感が薄く、事務所内に一緒にいてもいつの間にか彼がいることを忘れていることがあった。一度など、小川さんと加奈子さんと僕とで全員一緒に外出した時、留守にするので当然事務所に鍵をかけて出て行ったのだが、戻って来て鍵を開けると服部さんが一人でデスクに向かって仕事をしていた、なんてこともあったりした。
尾行が得意で、かつて所属していた大手興信所ではエースとして鳴らしていた小川さんに言わせても、「あいつはあれだけで食っていける」とのことらしいが、エース云々からして自己申告なのであてにはならない。
そして加奈子さんは服部さんのことを陰で『ニンジャ』と呼んでいた。名前とも掛けているらしい。
この興信所のバイトに本腰を入れているところを見ると、将来はこの道に進みたいのか、とも想像するが、この仕事はいわば客商売であり、この対人スキルで大丈夫かと他人事ながら心配になる。
「じゃ、ちょっと出てくる」
そう言ってドアに向かう小川さんの後を追いかける。服部さんは顔も上げなかった。

ボストンは小川調査事務所の入っている雑居ビルの一階にある喫茶店で、五十年配の脱サラ組らしい髭のマスターがやっていた。いつも客のいないカウンターを「塗装が剥げるんじゃないか」と心配するほど丁寧に拭いている。アルバイトで女の子を一人雇っていて、ひかりさんという僕より二つ年上の専門学校生のその人のことを、加奈子さんは「マスターとできてるんじゃないか」と下世話な想像を活発に働かせてニヤニヤしていた。
「いつもの」
カウンターのお気に入りの席につくと、小川さんはそう注文する。これでナポリタンが出てくるはずだ。
僕は少し考えて「メープルトーストとアメリカン」と言った。
この店はコーヒーも料理もたいしたものは出てこないが、メープルトーストだけは別だった。
使っているメープルシロップは市販のものではなく、なんでもマスターにはカナダに移住している親類がいて近所の農家が作っているものを分けてもらっているらしいのだが、それをわざわざ空輸で送ってもらっているのだそうだ。
親類に「日本で出てくるのとは全然違うから」と、一度おすそ分けでもらったものを食パンに塗ってみると、これが想像以上においしかったため、無理を言って定期的に送ってもらうようにし、喫茶店のメニューに加えたのだった。
確かに美味い。ふんわりとキツネ色に焼き色のついたトーストの食感と、甘みのなかにメープルの独特の苦みと風味があり、これをコーヒーで胃に流し込むのは至福のひとときですらあった。
並べられたものを無言で食べていると、カウンターの奥のテレビが連続通り魔事件の続報を告げていた。
「これ、まだ捕まってないんですね」と僕が言うと、マスターは口髭を撫でながら「みたいだねえ」と心配そうな口調で返した。「でも変な事件だよね」
このところ市内では弓矢を使った通り魔事件が連続して発生しており、その凶器の特殊性からすぐに犯人は割り出されるものと思っていたが、思いのほか未だにその犯人は捕まっていなかった。
「どうです、名探偵」
いたずらっぽくマスターにそう振られて、小川さんは手をひらひらさせる。
「警察を出し抜いて事件を解決する探偵なんて、あれはドラマの中だけの話ですよ」
「でも、そういうのにあこがれて今の仕事についたんじゃないんですか」
僕からの側方射撃にも動じず、「まったくないね。生まれついてのリアリストだから」と言った。
加奈子さんのような心霊現象専門の調査員を雇っておいて、リアリストが聞いて呆れる。
「だいたいメリットがないでしょう。家賃の支払いにもキュウキュウしている自営業の悲哀でしてね。依頼人もいないのに社会的道義で動くような正義超人にはなりたくてもなれません」
「では、依頼があったら?」
マスターにそう訊かれ、小川さんは口ごもった。そしてしばらくして、ふ、と鼻で笑うだけだった。
昼のニュースが終わって、なにかのドラマが始まったのでマスターはテレビを消した。
相変わらずほかの客は来ない。ウェイトレスのひかりさんもカウンター席に腰掛けて暇そうにしている。
食事を終えて一服をしていた小川さんが「よし」と短くなったタバコを灰皿に押し付けようとした時だった。
ふいにカウンターの隅にある電話が鳴った。クラシックな黒電話だ。
マスターが受話器を取り、「喫茶ボストンです」と出る。二言三言交わした後、黒電話をカウンターの上に持って来て、「君に」と受話器を向けた。
驚いたが僕はそれを受け取り、「もしもし」と言った。
『喫茶店で昼飯か、いい身分だな。またメープルトーストだろう。好きだなお前。それより今からちょっと仕事手伝え』
加奈子さんだ。
漏れた声が聞えたのか、横にいた小川さんがクスリと笑う。
『いいか。まずマスターに紙とペンを借りろ』
顔を上げると、すでにマスターが半紙とマジックペンをこちらに差し出していた。先に伝えていたのか。有無を言わさず、というやつだな。
「で、どうするんです」ひかりさんにメープルトーストの皿とコーヒーカップを片付けてもらって、カウンターの上に半紙を置いた。なぜかわくわくして来くるので不思議だ。
『紙にトランプのマークのスペードとハート、クラブ、ダイヤを並べて書け』
「は?」
妙な指示だ。
「並べるのはタテですか、ヨコですか」
『どっちでもいいけど、じゃあタテに書け。で、スペードのヨコに東、ハートのヨコに西、クラブのヨコに南、ダイヤのヨコに北と、漢字で書く。いいか、東西南北だ』
言われたとおりにする。
「書きましたけど」
『OK、じゃあ次は空いてるところに同じようにまず1から13までの数字を書け』
「タテでいいですか。……はい。書きました」
『次はその数字のヨコに、それぞれこう書くんだ。1には山、2には川、3には野原の野……』
師匠は次々に一文字の漢字を口にしていった。僕は言われたとおりにペンを走らせる。
完成したものを確認すると、こうなっていた。

スペード 東
ハート  西
クラブ  南
ダイヤ  北

1  山
2  川
3  野
4  沢
5  森
6  村
7  岡
8  田
9  崎
10 口
11 方
12 條
13 尾

なんだこれは?
首を捻った。なにがしたいのだろう。
『いいか。この電話を切って、十分か二十分かしてからまた電話が掛かって来る。小さな女の子からの電話だ。その子がある名前を告げて、その人はいますか? と訊ねてくるから、誰あてであってもマスターに電話を回してもらって、お前が出ろ』
「誰あてでも、ですか」
『そうだ。もちろん女の子以外だったら別件だ。その場合普通にボストンに掛かって来た電話だから関係ない』
「その、女の子からの電話に出て、どうするんです」
『トランプのカードを読み上げるんだ』
「カードって、ハートのエース、とかですか」
『そうだ。今作ったその表を見て、呼ばれた名前に対応したカードを読むんだ』
名前?
そう言われてじっと紙に書かれた文字を眺める。
やがて気づいた。なるほど。スーツが名字の一文字目、そして数字が二文字目に対応しているのか。
例えば西山であれば、スーツはハート、そして数字は1だ。つまりハートのエースと言えばいい。
南野であればクラブの3、北條であればダイヤのクイーン、東尾であればスペードのキング、という具合だ。
「カードを読み上げる、それだけでいいんですか」
『ああ。それでもう電話を切っていい。いいな。頼んだぞ。あ、あと所長もいるんだろ。ちょっとお前を借りるから、って言っといて』
そう言い置いて電話は切られた。いつものことだが一方的だ。
マスターとひかりさんは興味津々といった様子で僕を見ている。小川さんは「面白そうだな」と言った後、席を立ちながら「先に戻っとくから」と僕に手を振って、その返す刀でマスターに『ツケデヨロシク』のブロックサインを送る。
慣れたものでマスターの方は『リシガツクヨ』というブロックサインを投げてよこす。小川さんはひかりさんにも妙なウインクを送ってから、店のドアを開けて出て行った。カランという可愛らしい音がした。
残された僕はマスターとひかりさんに愛想笑いをしてから、またカウンターの紙に目を落とす。
師匠がなにをしたいのか、それを読み取ろうと奇妙な暗号表を睨んでいると、マスターが「いる?」と言ってトランプを差し出してきた。
喫茶店のカウンターには本当にいろいろなものが置いてあるものだ。
「ああ、いや、たぶんいらないです。すみません」
そうして僕は紙と睨めっこを続ける。
名前か。トランプに対応した名前。その名前の人物に電話を掛けて来る女の子。その子は何者なのだろう。仕事を手伝ってくれ、といっていたが、小川調査事務所の仕事なのだろうか。なんだか遊んでいるようにしか思えない。
トランプか。手品か何かでもしたいのだろうか。
そう思った瞬間、閃いたものがあった。
そうか。手品だ。相手の選んだカードを当てるマジック。自分で選んだように思わせて、その実、最初から決められたカードを手に取らせている。
あるいは、どれを選んでも残ったカードの山に戻した時点で巧妙にすり替えられている。
そう、ある決められたカードに。
選んだカードを見もしないで当てるのだが、単純に「あなたが選んだのはハートのエースですね」などと言ったり、あるいは山から抜き出して見せたり、といったものはありきたりだ。
かわりに、カードを選んだ人のポケットから出てきたり、レモンの中から出てきたり、といった演出をテレビで見たことがあった。
あるいは、「あなたが選んだカードをあらかじめ予知していました」などと言って密封された封筒から出して見せたりもする。
これはその一種だ。
たぶん師匠はこう言うのだ。
『わたしには予知能力者の知り合いがいて、その人はあなたが選んだカードのことをあらかじめ知っている』と。
あるいは透視能力者かも知れない。
そしてその透視だか予知だかの能力者の名前と電話番号を告げて、その子自身に掛けさせる。
もちろん名前はこの暗号表の法則に従っている。
最初からカードが決まっていないということは、ある決められたカードをテクニックで選ばせるのではなく、その子がランダムに選んだカードを何からの方法で盗み見て、そのカードを名前の暗号を使って僕に知らせるのだ。
師匠はすました顔で黙ったまま、女の子が自分自身でそれと知らずに答えのキーを運ぶのを見ている、という寸法だ。
さっき自由に抜き出して選んだばかりのカードを、電話に出た見ず知らずの人が当ててしまう。
これは確かに驚くだろう。
師匠の仕掛けに気づき、僕は満足して顔を上げた。
カウンターの向こうでは、僕が使わなかったトランプを箱から出してマスターとひかりさんがババ抜きを始めていた。
まだほかの客は一人も来ない。
平日とはいえ、昼時にこれでは経営が心配になってくる。
もっとも、このボストンは昼は喫茶店だが、夜になると酒と簡単なツマミを出すバーに変わるのだ。そちらは多少客が入っているらしい。
謎を解いてしまった僕は、その女の子からの電話が掛かって来るまで手持ち無沙汰になってしまった。
仕方なくカウンターに頬杖をつきながら、目の前で白熱するババ抜き勝負を見るともなしに見ていた。
タイマンなので、自分が持っていないカードは必ず相手が持っている。ようするにババ以外を引けばペアが成立するのだ。おかげで見る見る両者の手札は減っていったが、だんだんとババを引く確率が上がってきた。
ひかりさんが「あ~」と言ってくやしそうに引いてしまったババを自分の手札に入れ、入念にシャッフルを繰り返す。
お互い手札が残り四、五枚、というところで店の電話が鳴った。
マスターがカードを伏せて電話に出る。
「はい。喫茶ボストン」
「……」
電話の相手はしばらく何も喋らなかった。
思わずそちらに耳を寄せる。
僕はその無言の中に、なにか警戒をしているような空気を感じ取っていた。
やがてボソボソという声が漏れ、マスターが奇妙な表情を浮かべた。そして首をかしげながら、僕の方を見てこう言った。
「浦井さんはいますかって。女の子から」
浦井さん?
僕は思わず聞き返した。マスターは頷きながら受話器をこちらに差し出す。
浦井と言うと、加奈子さんの名字ではないか。
これはどういうことだ。
東西南北と1から13の数字に対応した漢字を合わせた名前で呼んで来るのではなかったのだろうか。
まったく関係のない電話かとも思ったが、タイミングが合い過ぎている。電話をして来たのが女の子であること。そしてここにいない人物の名前を呼んだこと。
それなのにどうしてそれが暗号表に出てくる名前じゃないんだ。
これではなんと答えていいのか分からない。
受け取ったものの、送話口を手のひらで塞いだまま僕は途方に暮れた。
もしかすると、その師匠になにかあったのかも知れない。考えもまとまらないまま、恐る恐る受話器を耳に当てる。
「はい」
すると女の子の声が聞えて来た。
『……あ、浦井さんですか。私が選んだカードはなんですか?』
無邪気な声。
マジックだ!
僕が予想した通りのマジック。女の子は、電話口に出たのが予知能力者か、あるいは透視能力者だと思っている。
なのにどうして、『浦井』なんだ。どうして。
手元の紙に目を落とす。なにか見落としていたのだろうか。
次第に高まっていく鼓動を抑えながら、目を皿のようにするがなにも見つからない。
『もしもし?』
女の子の声が不審そうな声色を帯びたのが分かった。
早くなにか答えないといけない。
ああ、ちょっとまってね、だんだん見えてきたよ、もう少し。などと言って間を持たせた方がいいのだろうか。しかし予知能力者だか透視能力者だか知らないが、どんな触れ込みで紹介されたのか分からない現状で、余計なことは言いたくなかった。
どうしよう。どうしたらいい。
師匠は僕に『頼んだぞ』と言った。どうすればその師匠の期待に応えられるのか。
うろたえて僕は喫茶店の中を見回す。狭い店内だ。マスターの趣味で帆船の模型がいくつか飾られている。
そのマスターはひかりさんと一緒に僕のことを見ている。カウンターにババ抜きのカードは伏せられたままだ。
四枚と五枚。ひかりさんの方が一枚多い。ああ。考えがまとまらない。余計なことばかり考えている。奇数の方にババがあるのだろう。つまりひかりさんが今ババを持っている状態だ。どうしよう。どうしよう。あてずっぽうでも何か答えた方がいいのだろうか。ひかりさんが今ババを…… ババ……?
その時、僕の脳裏に直感がやって来た。
ゆっくりと、電話の向こうの顔も知らない女の子に返事をする。
「きみが選んだカードは、ジョーカー。ジョーカーだよ」
電話口の向こうから息を飲んだような気配がした。
「それじゃあ」
僕はそう言って電話を切った。
ひかりさんが自分の手札からジョーカーを取り出して、不思議そうにそれを見ている。
僕はホッとして力が抜けた。思わず笑いが込み上げて来る。
「ジョーカーですよ。ジョーカー。あの人、ジョーカーを抜き忘れたんです。それを女の子に引かれたものだから、苦し紛れに暗号表に出てこない自分の名前を教えたんですよ」
「ああ」
とマスターは大袈裟に手のひらを打って頷いた。
「とっさに馬場さん、という名前にしなかったのはさすがに露骨過ぎたからですかね」
僕はひかりさんの手の中のジョーカーを指さした。
カードの中では道化師の恰好をした男が滑稽なポーズを取っている。
ひかりさんはそのカードを手札に戻し、軽く切り混ぜた。そしてマスターに向かって裏面を広げ、「かかってこい」と言う。
再開されたババ抜きを尻目に、僕は自分でコップに水を注いで息をついた。
さあ、新聞のスクラップの整理に戻ろうかな。と考える。もう少しサボっていたい気もするが、師匠の方の用事はこれで終わりだろう。
あの大量の新聞記事のことを思うと少し憂鬱になった。
もともと日付ごとに小川所長の興味を引いたローカル記事がきちんと並べられてファイリングされており、その日になにがあったかを調べるには都合が良かったのだが、ある特定の事件を遡って調べるには向いていなかった。
そこで今ある記事をすべてをコピーして、内容の種類ごとに分類したうえで、さらにそれを日付ごとに整理して別々のファイルに閉じる、という作業を命じられたのだ。
殺人、傷害、窃盗、詐欺、事故、火事、イベント、政治、行政などといった大まかなインデックスを小川さんが作ったので、それに合う記事を僕が片っ端から並べていくのだ。
しかしなかには分類が難しい記事もあり、単純に『その他』に放り込めればいいのだが、例えば強盗殺人のあと放火した、なんていう複合的な記事はどこに入れていいのか分からない。小川さんに訊くと、少し考えた後で「それぞれの分類のとこにコピーして閉じといて」と言う。
余計に仕事が増えた。ファイルの数も倍になるかと思いきや、倍ではきかないようだ。
時給さえちゃんともらえればいいのだが、あまり客の訪れない事務所や、小川さんのだらしないスーツの着こなし方、そしていつもの半分ふざけたような態度を思い出すにつけ、バイトを三人も使うような甲斐性があるとは思えなかった。今のところ、バイト代は雀の涙にせよちゃんと月末にもらっているが、いつ遅配になるかわからない。
その事務所を通して依頼のある心霊現象に関する事件は、師匠のライフワークとも言える仕事であり、水を得た魚のようにいきいきと動く彼女を見ているだけで僕は幸せな気持ちになれた。しかしそうした依頼で助手を勤める以外では、あまりこの零細興信所に深入りしない方がいいかも知れないと思い始めていた。
さあ、憂鬱な作業に戻ろうかと腰を浮かしかけた時だった。
カウンターの奥に戻されていた黒電話がふいに鳴り始めた。
「はい。喫茶ボストン」
マスターがいつもの調子で電話に出ると、「ああ」と言って僕に受話器を向ける。
「加奈子ちゃんから」
なんだろう、と思いながら電話に出ると、明るい声が聞こえてきた。
『悪かったな。ミスっちゃって。ジョーカーのことをすっかり忘れてたよ。しかし、とっさに良く気づいたな。助かったよ、ありがとう』
「貸しですよ、貸し」
加奈子さんは、生意気な、と言って電話の向こうで笑っている。
「ていうか、仕事とか言って何を遊んでたんですか?」
『いや、遊んでたわけじゃないぞ。あれも立派な仕事で……』
『浦井さんはいますか』
え?
師匠が電話の向こうで何か言い訳をしている。
しかし、その声に重なるように、別の声が聞こえたのだ。

『浦井さんはいますか』
ゾクッとした。
あの女の子の声。
思わず「はい」と返事をしてしまった。
『次のカードはなんですか?』
次のカード? 透視ゲームがまだ続いているのか。
しかし様子がおかしい。
『おい、なんだ。どうした』
師匠の声がする。
「いや、女の子が」
僕がそう呟くと、電話口から緊迫した声が響いてきた。
『嘘だろ! もういないぞ』
え? 二人で一緒に一つの受話器に顔を寄せ合って喋っているのではないのか?
『浦井さん?』
女の子が語尾を上げて問いかけてくる。
ちょっと、ちょっと待ってくれ。どういうことなんだ。
『今、あの子の声が聞こえているのか』と師匠。
「……はい」
慎重にそう答えると、別々の返事が返ってきた。
『よかった。次のカードはなんですか』
『こっちには聞こえないぞ。おい。お前の方の声は、わたしだけに聞こえてるのか?』
「いえ……」
『え? なんですか。良く聞こえない』
『まずいぞ。とりあえずお前は喋るな』
なんだか分からないが、ただ事ではないことが起きているようだ。ぞわぞわと背筋が冷たくなってくる。
マスターとひかりさんも眉をひそめてこちらを伺っている。
『ここからはわたしの指示通り動け。説明は後でする。まず、その女の子は人間じゃない。今までわたしの前にいたが、もういない。なのに電話では繋がっている。ちょっと試すぞ。いったんこっちの電話を切る』
ガチャン、という音がして師匠の声が消えた。
しかしまだ電話は繋がっている。
『もしもし? 浦井さん?』
女の子の声が、まだ聞こえていた。
姿の見えない、声だけの存在。人間じゃないだって?
僕は思わず閑散とした喫茶店の中を見回す。しかし僕たち三人以外、誰の影も見えなかった。
ふいに電話のベルの音が高らかに鳴り響き、びっくりして瞬間、背筋が伸びた。店内に設置されていたピンク電話だ。それがどこかからの着信を告げている。
いったんこっちの電話を切る、という師匠の言葉を思い出し、今手に持ったままの黒電話の受話器を見つめると自然に答えが出る。
「ひかりさん、あれ、取って」
黒電話を移動させながら、ジェスチャーでピンク電話の受話器を僕の方へ持ってきてほしいと訴える。
それぞれの電話機のコードの限界まで引っ張り、なんとか僕は両方を手に持つことができた。
「もしもし?」ピンク電話の方の受話器に口を寄せて話しかける。
『わたしだ。どうだ、まだあっちは繋がってるか』
師匠だった。いったん切ったものの、僕の方が黒電話の受話器を上げている以上、掛け直しても通話中になってしまい、繋がらないのだ。だから師匠は店にもう一つあるピンク電話の方へ掛けてきたのだった。
「よくこんな電話の番号知ってましたね」
『備えあればなんとやらだ。それよりどうなんだ』
「繋がってます。次のカードはなんですか、と訊かれています」
『繋がってるか。まずいな。物理的にどうとかいう状態じゃないな。あの子がどこにいるか分からない。わたしもすぐにそっちに向かうから、それまで間を持たせろ。いいな。その子の電話を一方的に切るんじゃないぞ』
「ええ? 今どこなんですか」
「車だから、十分もかからない。こっちはもう切るぞ」
その時、耳を離していた黒電話の方の受話器からボソボソという声が漏れ始め、それがだんだんと大きくなってきた。
『ねえ、どうして答えてくれないの』
女の子の声。だが、聞いただけで寒気のするような声色だった。さっきまでとどこか違う。声の要素を分解し、再構築したようなどこか人工的な響き。しかしそれが耳にまとわりつくように喫茶店の中をどろどろと流れた。
『どうした』と師匠に訊かれ、息を飲みながらも「声が、変わりました」とようやく答える。「答えろと、言われています」
女の子はまた浦井さん、とこちらを呼んでいた。ということはまたカードはジョーカーなのか。
『うかつに答えるな。間違えたら何が起こるか分からない。今度の名前の指示はわたしがしたわけじゃない。その子は最初に教えた<浦井>という透視能力者にまた訊いてきただけだ。だから何のカードを引いたのかは分からない。いや、まて。その子はなんと訊いてきた? もう一度言ってくれ』
「浦井さんはいますか? 次のカードはなんですか? と」
電話口で少し間があった。
『次のカード……』
師匠がそう呟いたのが聞こえた。そして次の瞬間、黒電話から血の凍るような声が鳴り響いた。
『はやく、答えろろろろろろろろろろろろろろろろろr……』
鳥肌が立った。洒落になってない。
カタカタとカウンターの奥の酒瓶が音を立てている。ガラスケースの中の食器も。
目に見えない振動が発生しているのか。
パニックになって、思わず黒電話の受話器をフックに戻しそうになる。すんでのところで思いとどまり、ピンク電話の受話器に顔を押し付ける。
「師匠!」
『落ち着け。今のは電話越しにこっちにも聞こえた。いいか。一回だ。あと一回だけ当てる』
「え? なんですか」
『いま訊かれているカードだ。もうこれでこっちは電話を切る。すぐに向かうから、もしまた掛ってきてもなんとか引き延ばせ。いいな。その次のカードはわたしにも分からない。勝手に答えるなよ』
「もう間に合いませんよ」
僕の悲痛な叫びに、師匠が答えた。
『あと一回は当てる、って言ったろ。信じろ』
「じゃあそのカードはなんですか」
『ジョーカー』
一言そう告げて電話は切られた。
だから、浦井がジョーカーに対応してたのは最初だけでしょ!
そう言い返そうとしたが、また黒電話の方から異様な気配が膨張していくのを全身で感じ、震えあがって、「もう、ちくしょう」と口の中で毒づいたあと、僕は受話器を握りなおした。
「ジョーカーだ。選んだカードはジョーカー」
そう答えた瞬間、ふ、と気配が消えた。
喫茶店の中に、喫茶店が戻ってきたような感じ。
『あたり』
小さな声がそう聞こえた。
それで電話が切れた。ツーツーという音だけが耳に入り込んでくる。
僕は放心して、そのままの格好で間の抜けた顔を晒していた。
「あの、大丈夫?」
ひかりさんの声に反応して、「え、ああ、はい」と言いながら黒電話の受話器をフックに戻す。
チン、という音がした。
静寂が戻ってくる。店の表を通る人の笑い声がドア越しにかすかに聞えてきた。
「なに今の?」
とマスターが怯えた表情で訊いてくる。
喫茶ボストンのマスターは小心者で、たまに加奈子さんが持ち込んでくるお化け絡みのトラブルに巻き込まれては持病の胃痛を悪化させているのだそうだ。
しかし小川調査事務所の面々は数少ない店の常連だ。事務所の来客時にもコーヒーや紅茶の出前のオーダーがある。いわば上得意だ。そんな目に遭っても、出入り禁止にもできず胃薬を飲む回数ばかり増えているらしい。
「さあ、分かりません」
そう答えたが、僕にもさっぱり分からないのだ。嘘ではない。
師匠はまたあの電話が掛かってくるかも知れない、と言っていた。それを思うと店から逃げ出したくなったが、この小動物のように怯えているマスターと勝手に巻き込んでしまったひかりさんを置いて逃げるわけにもいかない。
「すぐ加奈子さんが来るんで」
と、僕はマスターにお願いして店を一度閉めてもらうことにした。ひかりさんが表の営業中と書かれた看板を裏返しに行く。どうせ今日は開店休業状態だ。そんなところにふらりとやってきた不幸な客をこんなわけのわからないことに巻き込むわけにもいくまい。
十分もかからない、と言っていたな。
店の時計を見上げる。
まだか。
今また電話が掛かってきたら、と思うと気が気ではない。あれはやばい。直感に頼るまでもなく、それが分かる。
ジリリリリリリリリリリリリ……
心臓が縮み上がった。
一瞬、師匠からの電話かと思ったが、ピンク電話の方ではない。黒電話の方が鳴っている。女の子が知っている方の番号だ。
時計を見る。十分経っている。しかしまだ師匠は到着していない。
まずい。どうする。
冷や汗が流れる。
このまま取らなかったらどうなる?
それでやりすごせるか?
そんな言い訳めいたことを考えながら僕が動かないでいるあいだも、電話のベルは鳴り続ける。
「店あてかも知れない」
とマスターが動く。
とっさに「あ、待って」と言ったが、マスターの職業倫理がそれを許さなかった。
「はい。喫茶ボストン」
いつもの声でそう言うと、マスターはすぐに泣きそうな顔に変わった。そしてごめん、とばかり手刀を切りながらもう片方の手で僕に受話器を差し出す。
「浦井さんに、って」
きた。
やばいって。ほんとに。
僕も泣きたくなったが、胃の辺りを押さえたマスターにそんな顔をされると受け取らないわけにもいかない。深呼吸をして、受話器を耳に当てる。
『……もしもし?』
女の子の声だ。今度は最初から少し抑揚がおかしい。いつ豹変するか分からない妖しい揺らぎを潜めているような声。
「はい」
『浦井さんですか』
「……はい」
『次のカードはなんですか?』
師匠はまだか。
わかるわけがない。
マスターを見るが、顔の前で手を高速に振っている。ひかりさんはなぜか口笛を吹きながら箒を手にして床を掃き始めた。
『もしもし? もしもし? もしもし……』
じわじわと声色が変わっていく。それと同時にゾクゾクするような悪寒が込み上げて来る。
なにか言わないといけない。
なにを。
『もしもし…… どうして、はやく、もしもし…… 答えてくれない…… はやくこたえ』
風船だ。
目に見えない風船が膨らんでいくイメージ。空気が歪み、僕は息が詰まるような圧迫感を覚えた。
『は……や……く……』
店の中になにかが弾ける。
そう感じた瞬間だった。
タイヤが乱暴にアスファルトを噛む音がした。
そして間髪入れずに店のドアが開き、ツバつきの帽子を目深に被った師匠が飛び込んでくる。
「貸せ」
駆け寄ってきた師匠に受話器を奪われる。
「ご指名の浦井だ」
師匠が電話に向かってそう言い放つ。
「ああん? さっきのも浦井だよ。弟だ、弟。あいつはザコだ。わたしなら透視でも予知でもなんでもしてやるよ。それよりお前、どこにいるんだ」
最初から喧嘩腰だ。
黒電話からかなりの音量で不気味な声が漏れ出てくる。
『次の……カードは……』
店の照明が揺らいだ。
ひかりさんが箒を持ったまま気味悪そうに天井を見上げる。
「訊いてばっかじゃないか。先にこっちの質問に答えろよ。どこにいるんだよ」
『次のォォォォ……カードォォォォォォォ……』
おんおんと恐ろしい音が響く。
マスターが青い顔をして耳を塞ぐ。僕もただならない空気に足が竦む。
息を飲んで師匠を見つめていると、空いている左手の指で、左の頬の下あたりをポリポリと掻き始めた。そこには古傷があり、興奮すると赤く浮き出て来て、痒くなるのだそうだ。
「上等だよ」
指の動きを止め、師匠はそう呟いた。
それを見つめている僕のうなじにチリチリと静電気のようなものが走る。
師匠の目が爛々と輝き、なにか得体の知れない力がその身体から蒸気のように吹き出てくるような錯覚をおぼえ、思わず僕は目を擦る。
「クラブの10だ」
受話器に、そんな言葉を落とす。
電話の向こうから、空気の抜けた風船のようになにかが萎むような気配がした。
しかし師匠は追い討ちを掛けるように続ける。
「切るな。最後までやってやる。続けろ」
『  』
黒電話がなにか言った。しかし聞き取れなかった。
「スペードの10」
師匠が間髪いれずにそう答える。気のせいか、猫科の動物のように帽子からはみ出した毛が逆立っているように見える。
「ダイヤの7、クラブの7」
「ハートのクイーン、スペードのクイーン」
「ハートの2、ダイヤの2」
…………
まったく言いよどむことなくカードを答え続ける。僕らは唖然としてそれを見ているしかなかった。
ロジックなどではない。この世のものではない怪物が二頭、戦っているような気がした。
電話の向こうのトランプのカードなど僕らには何一つ見えなかったのだから。
「クラブのクイーン、スペードの6」
「ダイヤの4、ダイヤのキング、クラブの5……」
そうして最後に師匠はふっ、と息をついて優しい声で言った。
「残りは消去法でも分かるな。スペードのジャックだ」
そうして周囲で恐る恐る見守っていた僕らに顔を向け、ウインクをしてみせる。
黒電話からはもうなんの気配も感じない。
ただどことも知れない場所とは、まだ繋がってはいるようだった。
「こんな遊びでいいならいつでもやってあげるよ。とりあえず、電話するならこの番号じゃなく、今から言う方に掛けな。そこならいつもわたしがいるから」
そう言って師匠は自分の家の電話番号を口にした。
そんなこと教えて大丈夫なのか、と思わず手が伸びたが、制止することもできず、その手は宙を掻くだけだった。

「だからな、仕事だって言ったろ」
師匠はアイスミルクティーを注文して喫茶ボストンのカウンター席に座りなおした。
電話を切った後、もう女の子からは掛かってこなかった。落ち着いたところで、いったいなにが起こっていたのか、説明をする気になったらしい。
「買ったばかりの分譲マンションの部屋に幽霊が出るからなんとかしてくれって依頼があったんだよ。除霊屋じゃないんだから、追っ払えるか分かりませんよって言ったんだけど、なんでもいいからとにかく来てくれって言うからさ、行ったわけよ」
師匠が出向くと、そこには女の子の霊がいたそうだ。
出来たばかりのマンションで、前の住人が自殺した、といったような見えない瑕疵もない。地縛霊ではなく、浮遊霊の一種がたまたまそこに居ついているんだろうと師匠は当たりをつけた。
その女の子の霊は部屋の隅でトランプ占いのようなことをしていたのだそうだ。ただそれだけなら気持ち悪いにせよ害はないのだが、その占いの結果が悪かったらパニックのようになって部屋にポルターガイスト現象のようなことが起こるのだという。
家具が揺れたり、皿が飛んだり、テレビがついたり消えたりするような。
とりあえず師匠は占いから、なにか別のことに興味を向けようと思って、手品をして見せてあげようとしたのだが、いかんせんそのトランプに触ることができない。物質的なものではなかったのだそうだ。
そこで、くだんの電話をつかって選んだカードを当てる、透視マジックを披露することにしたのだ。そこでマジックの助手として白羽の矢があたったのがこの僕で、喫茶ボストンはそのとばっちりを受けた格好になる。いい迷惑だ。
女の子がカードを選んだところで、今から掛ける所に浦井さんという透視能力者がいるから、そのカードのことを訊いてごらん、と言ってプッシュホンを押し、受話器をその子の前に掲げた、という次第だったそうだ。
見事僕がジョーカーを当て、女の子は不思議がって喜んだ。そしてさあこれからどうしようかと考えていると、師匠の目の前でその子は消えたのだそうだ。
なんだ、これで解決か。あっさりしてるなと拍子抜けして、ボストンに電話してみたところであの騒ぎが起きた、という流れだ。
「なんで二回目のジョーカーが分かったんですか」
僕がそう訊くと、師匠はアイスミルクティーにガムシロップを流し込みながら答える。
「モンテカルロだったんだよ」
「え? なんですって?」
「だから、その女の子のしていた占いが。見たことないか? こう、左から右へ五枚のカードを並べて、その下にまた左から右へって風に縦長に並べてって、タテヨコ斜めで同じ数字があったら、ペアにしてその場から排除できるんだ。それで空いたスペースを左上に左上にカードを詰めていって、また一つずつペアを作って消していく。綺麗に全部消えるか、あるいは最後に残ったカードで占いをするっていうゲームだ」
そう言われるとやったことがある気がする。モンテカルロ、なんていう気取った名前だったのか。
「で、わたしが透視マジックをやるって言うと、その子は占いを終えたばかりのトランプの山を整えて、そのまま裏返しにしたんだ。それでカットもせずにそのまま一番上のカードを選んだ」
「それがジョーカーだったんですか」
「そう。普通モンテカルロはジョーカーを除いた52枚でやるんだけど、色々ハウスルールも多いからな。でもそのジョーカーが混ざってる可能性を失念してた。わたしのミスだ。でも結果的にそれが功を奏したんだけど」
「どういうことですか」
「二回目だよ。わたしに見えないどこか知らない場所でその子が透視ゲームの続きをしようとした時、また『浦井さんはいますか?』って訊いてきたろ。わたしが名前を指示したわけじゃないから暗号表も使えないし、実質的にノーヒントだ。でも『次のカードはなんですか?』っていうその訊き方が引っかかってな。最初に裏返しにした山の一番上を単純に選んだその子が、そういう訊き方をするってことは、もしかしたらそのまま次の二番目のカードを選んだんじゃないかって思ったんだよ。その場合、裏返す前は山の一番下にあったわけだからペアになり排除されたカード、つまりジョーカーのペアはジョーカーだってわけ。しかし、最初のペアがジョーカーで良かったな。例えば一枚目がスペードのエースとかだと、ペアになった二枚目はハートなのか、クラブなのか、ダイヤなのかという三択を迫られるところだ…… いや、まてよ」
そこで師匠はなにかに気づいたように眉を寄せた。
そして「あ、そうか」と一人で勝手に頷く。
「最初のペアが、二枚しかなくて、でもそのせいでペアになりにくいジョーカーだったのはツイてたな、と思ってたけど、違ったんだ。あの子はモンテカルロのルールどおりジョーカーは最初に取り除いたんだ。そしてゲーム開始後にできた最初のペアをその取り除いておいたジョーカーの上に置いて、そのまま排除用の山にしただけだったんだ!」
気づいてなかった。あぶねえ。
そう呟いて額をわざとらしく拭うふりをする。
「でもその後はどうして分かったんです」
「山の上から順番にカードを選んでいく、ってことは想像ついたけど、占いしてるところを最初からずっと見てたわけじゃないし、どのペアがどの順番で取り除かれたか、なんて分かるわけない」
「じゃあ、どうして答えられたんですか」
まさか当てずっぽうではあるまい。偶然すべてが当たる可能性なんて天文学的な確率だ。たとえ、一枚当たったら二枚目はスーツ違いの同じ数字だと当たりがついたとしても。まして最後は現にペアにならなかったバラバラのカードばかりだったじゃないか。
「知らん」
あっさりと言った。
ストローを銜える師匠を唖然として見つめる。
「そんなわけないでしょう」と食い下がると、めんどくさそうに口を開いた。
「あのな。実体がなく、言葉だけでそこに現れている霊なら、その言葉が霊そのものだ。言葉の奥に、言葉にしない隠れた秘密があったとしても、すべては示されている。声色だか、音の大小だか、タイミング…… そういうところに分解され、分からなくされているんだろう。でも見えるものは見えるんだ。これは、精度と能力の問題だ」
ホントの物質的透視だったら、わたしにも出来ない。
そう言って師匠は僕の頭を小突いた。そして追い討ちを掛けるように続ける。
「お前、好き好んでこっちの世界に首を突っ込んでるがな。いつか、見えなきゃ、死ぬ、って場面に遭遇したら、どうするんだ」
冷たく細められた瞳が僕を見ている。
師匠のその言葉は、小突いた握りこぶしよりもはるかに強く、まるで鋼鉄のハンマーのように僕の頭に打ち下ろされ、チカチカとしたどこか電子的な火花が小さな喫茶店の中を埋め尽くし、それがいつまでも、いつまでも止むことはなかった。

(完)


 


ウニさんのPixiv/師匠シリーズ「トランプ」より転載させていただきました。

 
 

『師匠シリーズ』作者、ウニさんについて

ウニさんのプロフィール   
56564192003年頃より2ちゃんねるのオカルト板やPixivに、自分自身をモデルにした「主人公(僕/俺)」が大学で出会った先輩「師匠」とのオカルト体験を描いた人気作「師匠シリーズ」を投稿されています。
現在、書籍化された既刊は2冊、片山愁さん作画のコミックが3冊、2016年には映像化プロジェクト始動と、師匠の進撃は逗まるところを知りません。

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